沖縄なんくるみー

誰が植えたわけでもなく勝手に生えた樹木や野菜・果樹――。沖縄で自生するっていいじゃない⁉

沖縄の「祖国復帰」あるいは「沖縄返還」が政治の焦点として、アツく語られていた1970年前後の時代。日本「本土」で、それに疑問を投げかけるとともに、「復帰」「返還」に真っ向から異を唱え、抵抗した沖縄出身の若者を中心とするグループがいた。沖縄返還協定が審議される国会の議場で爆竹を鳴らし、「返還粉砕」を訴えた、国会決起闘争(いわゆる「国会爆竹事件」)で知られる沖縄青年同盟である。

当時の大方のマスコミの受け止め方は、「神聖なる国会」「爆竹」「議会制民主主義の破壊」などの文言に象徴されるように、「沖縄返還粉砕」「復帰反対」の声などほとんど問題にならず、むしろ「批判」「罵倒」される取り組みであった。

ただ、この「事件」の裁判の冒頭、被告たちが沖縄語(ウチナーグチ)を使ったことに対して、裁判所が沖縄語使用を禁止し、「日本語」の使用が強制したことから、「沖縄語裁判」として話題になった。

これについては、あらためて記すことにする。